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History



父子二代の天皇理髪師
「遥かなり昭和」


こちらから小説をお読みいただけます。


大場 栄一


明治・大正・昭和・平成
Since 1882
◇◇◆◇◆◇◇
初代天皇理髪師 大場 秀吉(大正12年撮影)
 
 初代「大場」の第一歩は、
横浜・関内のホテルの中にある
バーバーからはじまります。
 明治15 年、
まだ断髪令が発令されて間もない頃。
初代・大場堪之助が
西洋理髪を専門に
バーバーをはじめ、
二代目の秀吉は、
本物の西洋理髪を極めるために
志大きく大陸へと渡ったのです。

 明治6年3月20日には、明治天皇がご断髪されました。この日、いつものように奇麗に御髪を結い上げて御学問所に出御された天皇が、そのお還りにはすっかり散髪なさっていたので、女官たちが大いに驚いたと伝えられています。
 この天皇のご断髪が『新聞雑誌』に報道され、それが民衆の髷への執着を薄れさせることに大きく貢献しました。
 明治7年6月の『東京開化繁昌誌』に「天皇すでに髪を断ちたまえば、率土(地の果て)の浜に至るまで、これを断ぜざるなし、いわんや大臣大将以下百官をや。その他、士となく農となく商となく工となく、みな断ぜざるはなし。」と、その効果がいかに大きかったかを述べています。
 この時、明治天皇の断髪は、理髪師、河名浪吉の手で行われましたが、河名が行ったのはこの時一度だけで、その後、天皇の理髪は侍従の役目として続きました。以降、天皇の理髪が民間の理髪師に委ねられたのは、昭和天皇が皇太子のときに御調髪を仰せつかり「天皇の理髪師」となった大場秀吉でした。
 余談になりますが、断髪令に溯ること1180年の天武11年(683)には、「自今、男も女もことごとく髪を結うべし」という『結髪令』が出されています。

 当時、中国の上海は東洋のパリといわれ、欧米の近代的な文化が行き交うアジアでもっともエキサイティングな都市でした。その地で秀吉は、今では考えられないほどの苦悩と努力を重ね、イギリス人やアメリカ人のお客様にも絶賛されるまでに技術を高めていったのです。
そして帰国、本場仕込みの技術とサービスとセンスで、1902年(明治35年)に「大場」本店を東京芝の田村町(現在の虎ノ門)にかまえ、お客様には政界・財界・出版界の紳士淑女たちがおいでになっていました。
(大場高等理髪店店内 大正14年頃)
ー理髪室の別室に浴室も備えていたー




(浅草松屋店内 昭和初期)

(田村町本店2階 婦人部)

 理髪店なのに淑女・・・?と思われる方もいらっしゃるでしょう。「大場」は、その頃からすでに男女のためのヘアーサロンだったのです。たとえば、その頃の日本で初めて発刊された女性誌のファッション・プロデューサーから女性の新しいヘアースタイルを提案してほしいと依頼され、その大場のデザインがその年の流行を生みだしていた頃でもあります。


 
 その洗練された西洋理髪の技術とセンスは高い評価をいただき、1921年(大正10年)、当時皇太子であられた昭和天皇のヨーロッパ渡航の際に、初の宮内庁御用達の御調髪係に抜擢されたのです。
 「大場」の築いてきた近代西洋理髪に関する技術とノウハウは、やがて全国への講習普及活動をへて技術理論へと体系化され、現在の近代理容技術の礎となっているのです。


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