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父子二代の天皇理髪師
遥かなり昭和
大場 栄一
第三章 父子二代の天皇理髪師
5

 昭和十四年十月から私は南支(中国南部)に出征した。その折りのことは次の章に譲るが、十六年四月に帰国し、店に戻った私は、陛下の御理髪係を努めることになったと父から知らされた。
 御理髪係は父の後、例の生川亀太郎氏、次いで三代目は山本顕治氏という父の弟子がなっていた。生川氏は三年間で役を終えたが、山本氏は十年目に差しかかっていた。
 ところが山本氏が胸のレントゲン写真を撮ったところ、はっきり映っていなかったらしい。これは当時の写真技術のせいもあったようだが、もしも肺が冒されていたなら大変だと、急遽交代することになった。当時、結核が一番恐れられていた病気であったから、宮内省としては当然の措置だったのだろう。
 そこへちょうど私が帰ってきた。
 陛下にお仕えする人間は、当然事前に調査される。父がお仕えしていた関係上、私は中学三年のときから特高に尾けられていた。当時は共産主義が抬頭してきた時代だったから、特に学生はかぶれやしないかと思想的な面でマークされたらしい。招集されて軍隊へ行くと、今度は憲兵が目を光らせる。憲兵といっても私より格下であるのだが、それでも調べに来る。そもそも私は近衛兵だから後を尾けられるやましいところはないのだが、将来は〈大場〉を継ぐ長男として御所へ伺う身である、と考えられていたからであろう。
 話は内々に父のところに来ていた。私は父から話を聞き、御用を務めるに先立って御所に御挨拶に伺った。
 お会いしたのは百武三郎侍従長、甘露寺さん、それに宮内大臣もいらしたと思う。御所に伺うのが初めてなら、これほど偉い方と口をきくのも初めてである。ことに百武三郎侍従長は海岸大将で黒服いわゆる海軍の服を着ていらした。確か、階級章はつけておられなかった。まわりの侍従達は皆、モーニング姿である。
 私は戻ってきたばかりの南支戦線で大変辛い行軍を体験したし、マラリア熱にかかって生死の境を彷徨った。ちょっとのことでは動じなくなっていたが、さすがにこのときばかりは緊張した。
「間違いのないように……。すべて準備は整っているから、間違いなく、粗相のないように」
 そのような訓辞をいただいたはずだが、余りに緊張していたためか正確には覚えていない。その一週間後から、私は御所に参内するように指示された。
 私には、二年間の軍隊生活というブランクがあった。一般の兵隊の中で理髪の心得がある者は上官の頭を刈ったりしていたが、私は将校だからそんな機会はなかった。丸二年間、一度もハサミを握ったことさえないのである。
 帰国するや、そのブランクを取り戻そうと、毎晩必死で勉強を開始した。ずっと私の勉強を弟子の海津任せにしていた父も、私が陛下の御用を務めることになってからは、付きっきりで教えてくれた。私も真剣だったが、父も真剣だった。ひょっとすると、私以上に真剣だったかもしれない。
 十二年前の昭和四年三月、父は初代理髪師の役を自ら辞した。たった一度手が震えただけであったが、責任感の強い父はそれだけで辞任を決意してしまった。心中、さぞかし無念であっただろう。傍に立って手を取るように教えてくれる父を見ていると、その気持ちが痛いほど伝わってくるのだった。
 私が陛下にお仕えすることになった昭和十六年六月、父は六十五歳、私は三十二歳を迎えていた。 
 御用の日が近づくと、緊張して眠れなくなった。寝ようと思って床に入っても、気持ちが昂って眠れない。
 そんなとき、決まって父が話してくれた心構えが思い浮かんでくるのだった。父は自身の体験を踏まえて、こう教えてくれた。
「目線に気を付けなさい。目線が絶対に合わないように……」
 言うまでもない、陛下と目線を合わせるのは畏れ多いからである。
 陛下に限らず、お客様は椅子に坐ると、正面の鏡をご覧になる。理髪する立場にある者もまた必ず鏡を見る。これは習慣になっていて、左右のバランスなどは鏡を一目見ればいちいちお客様の頭を覗き込まなくとも済むからだ。
 ところが陛下の場合、これができない。そこで目線を下に落としたまま、しかも要所要所では鏡を見なければならない。これは実際にやってみてわかったことであるが、大変苦労する。おかげで私の場合は二年半であったが、陛下にお仕えしてからはいつも下を向いている癖がついて、よく他人から眠っているんではないかと勘違いされることもある。
 もう一つ、父が注意してくれたのは、こんなことだった。
「陛下は大変に几帳面な方でいらっしゃるから、必ずきちんと正面を向いて挨拶しなければいけない……」
 これも実際にお仕えしてみて、よくわかった。
 陛下は必ず正面から挨拶される。御理髪を終えて、陛下が退場されるときなど、こちらが準備が整わずに斜めの位置になってしまう際には、陛下はご自分のほうから私の正面に歩まれ、「有難う」とおっしゃる。それは全く、頭が下がる思いである。
 もっとも、そうしたことは実際に御所に上るようになって、初めて実感できたことである。父から聞かされたときは、初めての参内を目前にしていた時期であったから、眠れない夜など、ついそうした言葉が気になって仕方がなかった。
 いよいよ当日になった。
 私も父に倣って、冷水で身を清めた。父は必ず二十杯と決めていたようだが、私はそこまでまだ根気がない。十数杯で止めて、用意しておいた真新しい下着、シャツを身に着けた。そして、モーニングを着込んだ。
 父と同じく、身を清めて参内するからには、万一不祥事でもあれば切腹してお詫びする覚悟ができていた。あの時分、陛下にお仕えする者はそれだけの気持ちを持ったものである。
 初めて陛下の御用をお務めした日、私はひとつだけ失敗をした。御理髪の上ではない。御所に着て行ったモーニングである。
 御所では最初は侍従さん方もフロックコートを着用されていたらしい。が、それでは余りに固苦しいということになったらしく、私が参内した頃は侍従さんはモーニングになっていた。どうやら勲四等まではモーニングという決まりであったらしい。お舎人さんは普通の背広だった。
 そんなことは知らなかったから、私はモーニングではないと失礼かと思った。すると、侍従の方から、こう言われた。
「大場さん。モーニングは必要ないんだよ」
 あとでお舎人さんからモーニング着用事情を聞き、やっと私も納得できた。
 その日、私はモーニングを着て御所の廊下を歩いていると、大変丁寧に挨拶されるのでおかしいと思っていた。どうやら、私は新しい侍従さんが来たと間違えられたようだ。


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