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父子二代の天皇理髪師
遥かなり昭和
大場 栄一
終章 昭和六十四年一月七日

 昭和天皇の崩御を知ったのは、朝のテレビ・ニュースであった。昭和六十四年一月七日である。
 すでに陛下は闘病生活を送られて三か月半に及ばれていた。その間、何度も危機に見舞われ、報じられるところによると、十数度にも及んだ。しかしその度に、持ち前の気力を発揮されて、危機を克服されてこられていた。
 この間、私は祈るような気持ちで、御闘病を見守り申し上げた。そんなとき、決まって甦ってきたのは、陛下にお仕え申し上げた戦中の日々のことだった。当時、私は三十代前半、陛下におかれては四十歳代に差しかかっておられた。二年半の出仕の間、私にとって貴重な思い出は数多いが、陛下のお人柄を最も強く感じたのは、御洗髪中のボイラー事故の折であった。
 当時、私は参内に当たって毎朝冷水で身を清め、万一粗相があったら切腹してお詫び申し上げる心積りで奉仕申し上げていた。それが、御洗髪中に湯が出なくなり、私は急遽ボイラー室へ駆け降りて必死で桶に湯を入れ運び上げた。直接には私の責任ではなかったし、どうにか御洗髪を済ますことができたとはいえ、陛下にはいかばかりご不自由をお掛けしたことであろうか。理髪師として一生を過ごしてきた私にはよくわかるのだが、冬に入ろうとする季節にシャンプー液で濡らした冷たい髪のまま、十分以上も前かがみの姿勢で待ち続けるのは、それは大変な苦痛である。
 にもかかわらず、陛下は何もおっしゃらなかった。戦争が激化した昭和十八年も末を迎え、陛下は多忙なご政務から御理髪中に思わず居眠りをなさってしまうような日々を送られていながら、この不手際に表情一つお変えにならなかった。申訳なさから、私は頭を下げたまま涙で見えなくなってしまったが、陛下はいつもと変わらず「有難う」と声をかけて下さった。
 陛下は本当に辛棒強くいらした。それはまた、陛下のお持ちなされたお優しさの表れでもあった。陛下が御闘病の危機を乗り越えられる度に、私はそこに陛下が私共国民一人ひとりにお示しになられるお慈しみを感じるのだった。昭和という艱難と栄光の時代を国民の父として歩まれた陛下にはもっと御在命いただきたかった。が、それももう叶わない。
 私は崩御の知らせを聞くや、喪服に身を正し、改めて皇居に向かい、合掌した。
 目をつむると、陛下がお元気でいらした頃の、聰明でお優しい笑顔が浮かんでくる。……あれは、昭和三十六年頃だった。私は昭和十九年の出征で御理髪係を辞して以来、陛下とは御縁がなくなってしまったが、その年、思いがけず陛下の御理髪を仰せつかった。後任者の海津昇氏の夫人が亡くなったためである。ちょうど夏で、陛下は那須の御用邸にいらした。
 那須の駅につくと、宮様がお乗りになる黒塗の事が迎えて下さり、それに乗って御用邸に伺った。陛下は私が海津氏の代わりに来ることを、当然侍従の方からお聞き及びでいらしたのだろう。理髪室にお越しになると、一瞬、ニコッとほほ笑まれた。昭和十九年一月四日に私が軍務に戻る旨、ご報告申し上げ、「体を大事にして、元気で行っておいで」とお言葉をいただいてから、十七年余りの歳月が経っていた。しかし、陛下の笑みは、その歳月を一瞬のうちに消し去ってしまった。
 畏れ多くとも、何かお言葉でもいただいたらよいではないか、とお思いの方もいるかもしれない。しかし、昔の教育を受けて育った私には、陛下にお声をかけることなど考えられなかった。また、お言葉をいただかずとも、お優しい笑みを頂戴するだけで充分過ぎる光栄であった。
「有難う」と、その日御理髪が終わると、陛下は昔のようにおっしやった。頭を下げてお見送りしていると、いつのまにか目頭が熱くなってきた。……これが、戦後唯一そして最後の御奉公であった。
 その陛下は、今は亡い。
 これは旧側近奉仕会の席上、故入江侍従長に伺った話だが、昭和五十七年にフランスのミッテラン大統領が来日の折、陛下と会食をされた。その印象をこう語ったそうである。
「日本の天皇は世界の大統領だ。こんな素晴らしい陛下を持つ日本国民は本当に幸せである。私は現在大統領であるが、辞めれば一国民に過ぎない。ところが陛下は終身天皇でいらっしやる。それにふさわしいお人柄をお持ちでいられる……」
 まさに、その通りである。陛下にお仕えしたことがある者なら、ミッテラン大統領が「それにふさわしいお人柄をお持ちでいられる」と言った意味がよくわかるのである。陛下はそのお生まれゆえに天皇であり、その崇高なお人柄ゆえに天皇であられた。
 この素晴らしい陛下にお仕えできて、父も私も本当に幸せであった。
 崩御の翌一月八日、元号が変わって平成になった。
 昭和は去ったが、昭和天皇の思い出は私の心から消えることはない。そしてまた、父子二代にわたって陛下にお仕えすることができた光栄は、平成の時代も〈大場〉の誇りとして生き続けていくであろう。


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